ニューヨーク州のロングアイランドの東に位置するサフォーク・カントリー州空軍基地に駐在していた部隊で、F-102デルタダガーを運用していた迎撃戦闘飛行隊から救難飛行隊に転換した珍しい経緯を持つ部隊である。106th OG/102nd RSは現在は、フランシス・ガブレスキー飛行場に基地名が変更された同地でHH-60GとHC-130Jを運用しているようであるが、1975年から1990年まで15年間に渡りHH-3EとHC-130Pを使っていた。HH-3Eは、106th ARRG傘下の102d ARRSが使用していた機種である。写真↓1977年12月に撮影された写真で、ライトグレーの素敵な塗装である。但し1980年代は、グリーン系の迷彩に変えられている。記録によると、この飛行隊のHH-3E1機が1978年7月にニューヨーク州にあるトレンブロー山(Mountain Trembleau)に墜落し、7名の犠牲者を出した悲惨な事故があった様である。
尾翼に”VA”と書かれたヨーロピアン迷彩のCH-3は、ヴァージニア州空軍では無いようで、アメリカ合衆国の首都ワシントンのあるコロンビア特別区で要人の輸送や救助活動を行っている第一ヘリコプター飛行隊と思われる。1st HSでは、CH-3を1970年から1988年まで使っていたと記録されているが、現在は横田基地にいるUH-1Nと同じ機種を運用しており、今後MH-139グレイウルフに機種交換される予定だ。
1982年嘉手納の救難グループ 第33航空宇宙救難修復飛行隊(33rd ARRS)は、それまで使っていた大型のHH-53Cから、中型ヘリHH-3Eに機種変更した。理由は、当時の空軍が全てのHH-53Cをより進化したMH-53ペイブローに更新したかったため、MH-53への改造の為、機体回収したことが原因だった。但しMH-53は、AFSOCに移管されたため戻ってくることはなかった。HH-3Eは結局1993年に救難飛行隊が第18航空団に編入されHH-60Gに更新されるまで、嘉手納基地で使われていたのであるが、1980年代は仕事が忙しく嘉手納には全く行けなかった為、私は一度も撮影できていない。すっかり暗いヨーロピアン-Ⅰ迷彩に統一され、シリアルナンバーも読みにくいし、コンバット・レスキューと言う任務から秘匿性の高い行動を求められる為、外部からも彼らの実態は掴みにくかったはずである。
ロシア帝国領内、現在のウクライナからアメリカに亡命してして一大ヘリコプター会社を創設したシコルスキー氏。シコルスキー社の製品は当初から「S」で始まる航空機である。その中でも大ヒット作であるS-61は、皆さんご存知の対潜ヘリSH-3シーキングの原型である。このS-61から、最近の巨大ヘリCH-53Kまで、この系列のヘリは大きな進化を遂げて行くのである。因みに同社のS-65はシ―スタリオンの原型、S-70がブラックホークの元となる機体であるから、同社開発のヘリが、米軍にとってもどれだけ大きなインパクトを残しているかお判りにあるだろう。今回本項でご紹介するHH-3Eジョリーグリーンは、SH-3シーキングからの発展形であり、その後救難ヘリの概念を大きく変え、特殊作戦任務まで熟すコンバット・レスキューを実現させた機体なのである。
CH-3E 1st HS / Andrews AFB
HH-3E 102d ARRS / New York ANG
↑ 嘉手納基地に駐機するHH-3E/67-14705。HH-3Eは、敵地でのパイロットなどの救難を前提としている為、CH-3Eと比べ、装甲、防御兵器(主に機関銃)、投下可能なセルフシール燃料タンク。強力なホイストシステムが装備されていた。また 機体は船のように水に浮く事が出来る下面水密構造となっている。
↑ リバーサルフィルムでも撮影していたので、迷彩の色合いに興味がある方はご覧いただきたい。
↑ 1980年2月ルーク空軍基地上空で繰り返し、飛行訓練をしていた302nd SOSのHH-3E
アリゾナ州ルーク空軍基地に在籍していた予備役部隊の第302特殊作戦飛行隊。1950年代に創設され 最初はHU-16Bアルバトロス,そしてHH-34Jを装備していた部隊で 1970年代にHH-3Eに更新いている。この飛行隊は、主に救助任務と特別軍事作戦での運用を与えられた飛行隊で、海軍のシールズとの共同作戦も度々繰り返したそうである。1980年にはラスベガスのホテル火災の際、訓練でネリスに展開していた同飛行隊が、救助活動を行い、高いスキルを見せたと言われる。ルークで確認されたHH-3Eは、下写真の63-9676の他に、65-9657/66-13929/67-14707等の機体が存在したようだ。
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HH-3E/69-5798
↑ 1983年4月に沖縄の嘉手納基地で撮影された33rd ARRSのHH-3E(写真では機番は読み取れない)。"ARRS"は、Aerospace rescue and recovery Squadronの略号で、1966年から1989年まで正式部隊名として使われていた。これは宇宙から帰還した有人カプセルの回収などを業務の一部としていたからである。1989年以降 Air Rescue Squadron(ARS)に簡略化されている。
HH-3E 302nd SOS / Luke AFB
CH-3E/65-5697
↑ 嘉手納基地に駐機するHH-3E/69-5810。(上の3枚は何れも1983年4月撮影) 沖縄では1989年3月14日 トムバウアー大尉等3名が乗るHH-3E/67-14719が、墜落して3名全員が死亡すると言う悲しい事故があった。
HH-3E 33rd ARRS / Kadena AB
Wings